●まとめ

 今回は、ツアーの参加者として彼らの演奏をじっくりと楽しませてもらうことができた。

 全体的な感想をひとことで言うと、今回ほど心から馬頭琴を楽しめ、また将来にある種の希望を感じることができるプログラムはなかった。逆説的な言い方になるが、「もう馬頭琴なんてどうでもいいやー」なんて思えるほど、彼らのパフォーマンスは素晴らしい「音楽」であった。馬頭琴弾きのハシクレとして、いつも指使いがどうの、運弓がどうのというふうに演奏を見る悪い癖がついてしまっている自分にとって、今回は内容のあまりの良さに引っ張られて、一観客として、存分に音楽を聴けたということが嬉しかった。

 ひとつだけ残念だったことをあげるならば、この「馬頭琴三昧ツアー」の参加者がとても少なかったこと。名演奏家をわずか数名で独占し、至近距離で堪能するというのは、確かにこの上ない贅沢ではあるんだが…、やはりあの人数ではもったいないと思う。出発までの数ヶ月、旅仲間を集うべく自分のライブで広報を続けてきたんだが、結果的には数名の参加にとどまってしまった。(風の旅行社さん、ども、お力になれませんで。。。)
 とはいえ、日程その他のご都合で参加を断念された方たちも、旅の内容にはたいへんご興味を持っていらしたご様子。もし来年以降同様のツアーを企画するのであれば、より多くの方に参加して頂けるように、いろいろと工夫をすることも必要だ。

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 さて、さて。
 これだけいろんなタイプの馬頭琴の至芸を目の当たりにして、つくづく思ったことがある。一つは、一般的に知られている現代の馬頭琴の世界は、多種多様なバリエーションのほんの上澄みに過ぎないのだということ。そしてもう一つは、馬頭琴は思ったよりよっぽど自由で楽しく、音楽的に大きな可能性を秘めているんだということ。

 こうやって馬頭琴が近代化する過程やそれ以前の姿を知れば知るほど、そこには民族とか国とかそういったものを超える、重要かつ極めてシンプルなポイント=「音楽」という共通項が、見えてくる気がする。これは、外国人の馬頭琴弾きにとっても、非常に大きな福音だ。

 

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 あと、「正統派の」馬頭琴のことなんだけど。

 バトサイハンをはじめとする一般的な馬頭琴奏者達は、「正統派の馬頭琴」という土俵に立つことで、プロフィール的な背景や、用意される舞台の規模など、音楽活動の基盤をある程度保証されているが、その一方で、同じ土俵に立つ演奏家達や、はい上がってくる若手達との競争を常に強いられている。今回のコンサートに登場した"正統派"のバトサイハンは、世代的には「中堅」にあたり、経歴の面で、また選曲や一部の奏法の面で、確かに若手とは一線を画する音楽世界を提示しているし、独特の音色や節回しは、ジャムヤンが認めるだけあって若手にはない風格を持っている。その一方で、たとえばどれだけ速く正確に弾くかというような技術的な面では、若手に軍配を上げねばならないような曲も1,2曲あったように思える。厳しい世界ではある。

 しかし、この土俵上のバトルロイヤルを誰が制するかというのは、音楽的な関心事ではないんだよね。むしろ独自の土俵をこしらえたり、土俵を取り払ってしまったりすることの方が音楽的には何倍も面白い。なーんて書くと、ちょいとロック魂な発言みたいになっちゃうけど、だいたい馬頭琴が近代化して「まだ」半世紀しかたっていないわけで、それ以前は「野生の」馬頭琴弾きが、聞き覚えの馬頭琴を自由に展開していたはず。最初はそんな土俵なんてなかったのだ。

 むろんバトサイハンをはじめこの土俵で成功を収めた演奏家も多いだろうし、この土俵があったからこそ馬頭琴は「国家・民族を代表する楽器」という地位を手に入れ、国際的な舞台にも立つようになったのだろう。また、馬頭琴の弦楽四重奏の奏でる「ツェツェク湖のほとりで」など、新しいアプローチが非常に素晴らしい作品を生み出していることも事実。また、なんでも最近「馬頭琴」がユネスコの文化遺産とやらに登録されたらしく、それを喜んでいる関係者も少なくはないだろう。。。

 ただ、もしこれから先、馬頭琴がその素晴らしさを真剣に世界に広げる時期に入るとするのなら、前述の「土俵」の役割はそろそろ終わっているのかも。
 せっかく数を増やしている若手馬頭琴奏者たちの才能が、みなこの土俵〜現代馬頭琴の枠組みの中での競争に使われてしまうのはどうかと思うし、彼らが守ろうとしている伝統が、たかだか半世紀の間につくられた「伝統」に限定されてしまったら、馬頭琴が自由に駆け回っていた時代を知る老馬頭琴奏者たちの多様な技術や心構えが、永久に失われてしまう。

 モンゴル人馬頭琴奏者にとって大きなマーケットである日本だって、10年前と今では「民族音楽」を聞く耳もだいぶ変わってきたと思う。これまでは、馬頭琴で日本の曲、クラシック、分かりやすい派手な曲などなどやらないと、お客さんをつかむことさえ難しかったかもしれないけど、最近では、日本人が誰も知らないようなモンゴルの名曲を、ただいつもやってるようにそっと聞かせてくれるだけで、いろんなことを感じ音楽を楽しむことができるような、そういう鋭い感性をもったお客さんが確実に増えている気がする。これは、ネルグイさんの全国ツアーを企画して確信したことだ。

 そろそろ馬頭琴が本来持っている多様な姿を取り戻さないと、このままじゃある種の観光音楽、親善音楽というところで、体よく落ち着いてしまうような気がしてちょっと心配。。。

 

2005年8月 嵯峨治彦

 

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嵯峨治彦
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