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『アロハ』

(2000年 11月15日 NNL Vol. 28)

 先月、福島のいわき市立藤原小学校で朝からの演奏があり、前の晩に現地入りした時の事だ。会場最寄りの湯本駅からタクシーに乗りこみ、手帳を見て運転手に行き先を告げる。「ホテル・ハワイアンズまで…」言葉にして初めて湧きあがる疑問。学校までの距離と経済性と温泉で選んで予約しておいた宿が、何故「ハワイ」なのか?

 ふいに、子供の頃に見た「常磐ハワイアン・センター」のテレビCMが脳裏に甦った。太鼓の激しいビートをバックに、腰蓑の女性達が大勢で踊っている。粒子の粗い映像、録音レベル超過の太鼓、そして女性達の化粧と腰の動きの緩急…。時間にして僅か十数秒だったと思うが、20数年を経た今でも強烈な印象が残っている。

 タクシーは山間を進む。車窓から見える「SPA RESORT HAWAIIANS」──今晩のホテルが建つリゾート──の看板は割と現代風だったので「あのJHCではないだろう」と安心する。

 だが到着してロビーに入ると、宿泊客はみなアロハシャツで歩いていた。さらに、フロント係の一言。「本日のポリネシアン・ダンス・ショーのお時間は…」そう、ここは、約十年前に生まれ変わった新生JHCに他ならないのだった。

 私の泊まった部屋のTVでは施設紹介のビデオが放送されていた。モデル風の若い女性二人が、このリゾートを笑顔で満喫している内容。例のダンス・
ショーのシーンもあったが、当たり障りない編集で、すでによく思い出せない程度の印象。このリゾートは、自らの生い立ちを必死で払拭しようとしているようだ──JHCの前身は、実は本州最大の常磐炭坑である。石炭採掘の邪魔でしかない湧き出す温水を、逆転の発想で利用。温水プールやダンス・ステージを擁する巨大ドームや温泉ホテルを建設し、昭和40年代の日本人が最も憧れていた外国=ハワイを福島に作ってしまったのだ。従業員は炭坑労働者。ダンサーはその娘達。この事業転換でJHCは炭坑閉山を乗り越えて成功。高度成長期の日本人に夢を与え続けた──今や温泉街に「楽園ハワイ」を夢見ていた時代感覚は、恥ずかしい過去になってしまったのだろうか。

 夜になって例の巨大ドームに行ってみた。ショーも終わっていたせいか人影はまばら。ステージも照明が落ちて深い闇に沈み込んでいる。こうして、二十数年来ずっと心に引っかかっていた「楽園」に偶然たどり着いてしまったわけ
だが、謎が解けた爽快感はあまりない。むしろ時代の流れを感じさせる何とも言えないうら寂しいような気分が残ってしまった。

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のどうたの会 嵯峨治彦 nodo@ma4.seikyou.ne.jp