Up

1997 MAGICAL in 札幌(II)


 


  マジカル・ストリングスの札幌公演終了後、メンバーとスタッフ及びファンの数人は、某ファミリーレストランへ行った。チェロのブレニンはベヂタリアンなので、メニューにはいろいろ気を配る。お疲れさまの言葉、乾杯(ブレニンはそのかわり酒をがぶがぶ飲む)、静かな歓談。だが、ファミレスでの打ち上げはここまで。

 何かがくすぶっていた。音楽の無い打ち上げ?このメンバーで?楽しい打ち上げほど音楽を根元的に満喫できる場はない。そのことは誰もが知っている。期待は高まるが、マジカル・ストリングスのメンバーはお疲れのはずだから誰も何も言い出せない。。。

 ひとまず、皆は喫茶店 Jack-in-the-Box へ移動。私はモリン・ホール(馬頭琴)を取りに一度自宅へと車を飛ばした。愛馬と友に Jack-in-the-Boxへ着いたのは30分後くらいだったろうか。

 狭い店内は体の大きいマジカル・ストリングスのメンバーと打ち上げ参加者でいっぱいだった。店内では歓談が進んでいたが、まだ誰も楽器を手にしていなかった。マジカル・ストリングスのメンバーは、僕の持ち込んだモリン・ホール(馬頭琴)に興味津々の様子。弦が馬の尻尾でできているという説明に、彼らの好奇心は最高潮に達した。

 「それじゃぁ」

 ということで、私は演奏を始めた。

 ちなみに当時私は楽器を弾く喜びを知ったばかりで、機会がありさえすれば必ず演奏していた(今もかな)。相手がキャリアの長いミュージシャンだろうが、別のジャンルのアーティストだろうが、お構いなしに弾いていたのだ(今もだ、やっぱり)。初心者だし下手でもあたりまえだという開き直りや、モンゴルのこの楽器自体の魅力に対しての強い信頼感が、殆どの緊張を取り去ってくれる。「駆けつけ3杯」という言葉があるが、この日は「駆けつけ3曲」だった。

 この時の自分の演奏についてはよく覚えていない。しかし、その演奏は一つの役割を果たした。ジャムセッションの呼び水になったのである。臨界状態だった場の空気が急変した。

 ダルシマをケースから出し、ひょいと膝に乗せて弾き始めるフィリップ。(ダルシマが小さく見えた)HTFのメンバーも楽器を弾き始める。ブレニンを含む3人はビア・カン・ボーイズを結成し、ビールの空き缶をボーランばりの奏法でたたく。大人達の会話に退屈気味だったブリタニー(当時14歳)までフィドルを取り出した。それまでのおとなしさが嘘のように、上気してフィドルを弾きまくる。

 やたらに楽しいセッションは遅くまで続いた。テーブルには倒れた酒瓶が増えていく。思えば皆が楽器を手にした時点で、言葉の違いなど誰もが忘れてしまっていた。

 マジカル・ストリングスのメンバーがホテルに戻る時間になった。いつになるかは分からない再会を誓って彼らを見送った。
 この楽しい家族とまた会いたい、私は強くそう思った。後で分かったのだが、この時彼らもそう思ってくれていたのだった。

 

[HOME] [コンサート情報] [企画までの経緯] [掲示板] [マジカル公式サイト]

['97札幌レポート(I)] ['97札幌レポート(II)] [シアトルにて] [Irish & Mongolian]


のどうたの会 嵯峨治彦 nodo@ma4.seikyou.ne.jp