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1997 MAGICAL in 札幌(I)

 

 1997年。マジカル・ストリングスの日本ツアー。初の札幌公演は、北海道のケルティック風味アンサンブル「HARD TO FIND」が主催した。

 マジカル・ストリングスは、ボールディン夫妻とその家族のファミリー・バンドである。大黒柱となるフィリップは主にアイリッシュ・ハープを演奏。奥さんのパムはダルシマ奏者。そして、97年の来日メンバーには、息子のブレニン(チェロ)と妹のブリタニー(フィドル/バイオリン)も参加した。

 HTFの本拠地(当時)である小さな喫茶店 Jack-in-the-Box には、彼ら家族のモノクロの写真が飾られていた。4人が笑顔で写っているその写真には、いつの時代のものなのか一瞬分からなくなるような落ち着きと、普遍的な家族の愛情が感じられた。

 公演前に知っていたマジカル・ストリングスについての情報は、こういったプロフィールの他に、アメリカの各方面でマジカル・ストリングスを絶賛しているレビューの数々だった。その中に、僕の大好きなソプラノ・サックス奏者、ポール・ウィンターの言葉も書かれていた。

 「真に美しく感動的な音楽、、、まさに沖にそよぐさわやかな風のよう。」
 "Truly beautiful and poignant music... An absolute breath of fresh sea air off the coast."
 -- PAUL WINTER, musician

 高まる期待を胸に、公演当日を迎えた。

 この年の主催とオープニング・アクトを務めたHTFは、結成から10年以上にわたってケルト音楽を北海道に紹介し続けている。その影響で北海道のアイリッシュ・ファンは非常に多く、マジカル・ストリングスの公演にも非常に多くの人が駆けつけていた。

 彼らの演奏の第一印象は、その美しい音色だった。HTFの奏でるダルシマとフィドル(こちらは小松崎さんご夫婦が演奏)のユニゾンの美しさは知っていたが、マジカル・ストリングスの音楽で重要な役割を演ずるハープが絡んだ音色の美しさは未経験だった。また、コード楽器としてギターが無い代わりに、チェロのベース的フレーズとハープのアルペジオなどが、どことなく格調の高い雰囲気を漂わせていた。さらに、家族でステージに上がっているからなのだろうか、その格調の高さの中にもリラックスした雰囲気が常に漂っていた。

 演奏する楽器には変わったものもあった。マダガスカルを代表する弦楽器ヴァリィ(Valiha)。1メートルほどの竹の筒の表面に、金属弦を縦に何本も張る。音程は指ピアノのように、左右とびとびに一つずつ上がっていくので、隣り合う2本の弦は3度のハーモニーを作る。素朴な音色とそのハーモニーが、マジカル・ストリングスの音楽の美しさをさらに高めていた。まさに弦の音色のマジカルな重なりだった。

 意表を突いたのが、ブレニンのジャグリング。まさかアイリッシュをバックに西洋式複雑お手玉といった楽しいパフォーマンスが飛び出すとは予想していなかった。このおおらかな楽しさの中に、アーリー・アメリカンな雰囲気も感じられた。ご存じの通りアメリカにはアイルランドからの移民も多い。アメリカの白人にとってのアイリッシュ音楽は、数世代前の先祖の伝統音楽の一つが、移民先で生き続けてきたものと捉えることもできる。

 マジカル・ストリングスが、伝統をふまえながらも、現代のアメリカ人として自由に音楽を展開する姿勢には、強い共感を覚えた。僕自身もアジア中央部の音楽を好きなようにアレンジして演奏している。(また、この年の主催のHTFも、ケルトの音楽を地理的には対極に位置する日本で自由に演奏しているグループだ。)マジカル・ストリングスの演奏には、伝統的要素と極めて良質な現代的要素がバランス良く同居している。

 素晴らしい演奏に観客は惜しみない拍手を送っていた。

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のどうたの会 嵯峨治彦 nodo@ma4.seikyou.ne.jp