●競馬場で

 そろそろ馬頭琴のことも書こう。実は、そもそも馬頭琴紀行なのだった。

 内モンゴルに来て最初に馬頭琴に出会ったたのは、意外や意外、フフホト市内の競馬場であった。といっても、レースの合間に馬頭琴コンサートがあったというわけではない。

 その競馬場には、チョクパパ&チョクさんにつれられて市内を観光していた時にふらっと立ち寄っただけだった。メインの建物は、ほかの内モンゴルの大きな建物と同様、てっぺんにゲル風のドームがついていた。

 競馬場の辺りは緑も多く、ちょっとした公園みたいになっている。天気は良かったが、レースのない日らしく、ひと気はほとんどなかった。ふと風に乗って馬頭琴の音色が聞こえてくる。音のほうに近づいて行くと、若者が一人馬頭琴を弾いていた。どうやら基礎練習をやっているようだった。投げ銭の箱も置いていないし。楽器はもちろんスタンダードな内モンゴル馬頭琴だった。

 話しかけると手を休めて応じてくれた。チョクパパが面白がって僕を日本の馬頭琴弾きだよと紹介する。若者は、じゃぁ何か弾いてと楽器を手渡してくれた。こういうとき、何を弾けば良いだろうか。でも、まぁ彼も練習中だったわけだし、僕もあまり気が乗らなかったので、ちょっと音を出すぐらいにとどめて礼を言って別れた。

 今度は競馬場内に足を運んだ。さっきの若者からはだいぶ離れたのに、ここでもまた馬頭琴が聞こえるような気がする。・・・一度耳についた音が、実際は鳴ってないにもかかわらず、ずーっと聞こえ続けるように感じたことはないだろうか。ご存知の方もいるだろうが、これは喉歌の練習を始めたりすると特に顕著になる。それまで音声の一成分に過ぎなかった「倍音」が、単独の「笛のような音」として認識できるようになるため、あらゆる音の倍音が「ホーミーみたいに」聞こえてしまうのだ。数年前静岡でライブをした時、関係者の方がこれを「倍音知覚過敏」と名付けていた。言い得て妙!欽ドン賞である。

 と、せっかく欽ドン賞まで出しておいて申し訳ないが、この時は本当に弾いている人がいた。観客席の日陰で、別の若者が馬頭琴の基礎練習に励んでいたのだった。始めてまだ数ヶ月だと言ってたが、彼も良い音色で弾いていた。

 彼らに名前を聞くのを忘れてしまったが、もしかしたらそのうちチャンスをつかんで有名な演奏家になるかも知れない。

 サインもらっておくべきだったろうか?

 さて、練習中の彼らを見て気付いたことは、指使いに迷いが無いこと。プロと比べると、ちょっと音程が外れる時もあるが、この音はこの指で弾くんだぁ!と思いきり良く指を運ぶ。音程の正確さを気にして臆病になることなく、おそらくは先生に指定されたとおりに指を使うことで、最初のうちから合理的な運指を覚えていくわけだ。こういうところにも、教授法の確立した近代馬頭琴の発展ぶりがうかがえる。

 

 ところで、先生の言うとおりの指使いで練習するなんて当たり前じゃん、と思った方もいるだろう。もしかしたら、当たり前っしょ、と思った方もいるだろう(他府県省略)。良き指導者に恵まれたら確かにそう、当たり前である。でも、指導者が近所にいなくて手探りで練習している方や、指導者のまだ指導してない曲を自分でこっそり練習している方にとっては、当たり前ではない。そもそも運指やポジション移動のタイミングなどが誰かに「与えられる」ことさえないのだから。

 かく言う僕は基本的には独学で馬頭琴をやってきた。もちろん、単なる自己流になってしまわないように、これまで会った名人達にいろいろなアドバイスを頂いてきた(大感謝)。それでも、正直な話、楽器を手にした最初の1、2年は、左手のポジション移動の重要性というものを余り意識しなかった。というか、ポジション移動という概念さえなかった(笑え)。これは、トータルな運指よりもその都度の音程の方にこだわってしまっていたからだ。まさに木を見て森を見ず。その後、幸運にもポジション移動の大切さに気付いて、だいぶ意識的に練習したし、初期に覚えた曲も運指を覚えなおしたりした。今では、あまり意識しなくてもだいたいは合理的な運指で弾けるようになってきた、と思う。たぶん。ま、こんな風に系統発生を固体発生でたどるようなやり方だとかなり遠回りになることは確かだ。パズルを解くような面白さはあるんだけど。

 

若かったなー というわけで、ネット経由でココを見つけて下さった奇特な馬頭琴・独学初心者の方のために、多少役に立つかも知れないことを書いてみようかなと思う。(どうしたんだろう。これまであまり馬頭琴の話を書いてなかった反動だろうか。)と言っても、もちろん何も偉そうなことは書けないんだが、私の中のゴースト(九馬身の老馬心)が、そうしろといななくので。

 えー、まず少なくとも最初に覚える何曲かは、しっかりと練られた運指で練習すると、あとあときっと役に立つと思う。教科書などに書いてある指番号に従っても良いし、達人のライブのビデオなどを見ながら練習しても良い。外モンゴルの馬頭琴なら「ウーレン・ボル」がオススメだ。あまり良くない書き方かも知れないが、慎重にやろうが大胆にやろうが、音程がまだそんなに安定していない最初のうちにこそ、標準的な指使いでえいやっと思い切りよく弾くようにし、その後練習を続ける課程で徐々に音程を正確にしていくのが良いと思う。

 それと、もし最適な指使いがわからない状態だったら、二つのことをヒントにしてみると良いみたい。一つは左手のポジションという考え方。目的地を探すとき市→町→番地と進むように、ポジション→使う指→指先の力加減(+指の開き具合)と進んで目的の音に到達する。ちなみにポジションは上(馬頭)の方から、弦の一番上〜1/3が第1ポジション、1/3〜1/2が第2ポジション、1/2〜2/3が第3ポジションとなっている(呼び名が違ってたらコメントください)。そして、もう一つのカギは、脱力。左手に無理な力がかからないような弾き方が必ずあるはず。(ないなら、たぶんその曲は馬に向いてない。)もちろん弦が2本しかない楽器なのでメロディの中で運指に融通をきかせることも必要だろうけど、このように運指の作戦をじっくり練った上で、反復練習をしよう。

 奏法の話をすると、僕はやはりゴビのネルグイさんのことを思い出してしまう。彼は独学で馬頭琴を極めた遊牧民演奏家で、近代馬頭琴の「標準的」奏法とは異なるものの、確かに独自の合理性を持った「ネルグイ奏法」を完成させた(詳しくは、上のリンクから「ネルグイ2004」>N-dimension>ネルグイ奏法を参照)。しかもその奏法が彼独自のサウンドに直結していて、野生馬のようにのびのびと音楽を奏でることができる。ま、究極的にはこんな風に、手の大きさ、指の長さ、そして演奏者の個性によって然るべき奏法というのが決まるようになるのだと思う。現に「好きなように弾けば良いんだよ」なんていう達人も結構いた。この「好きなように」を確立するまでが大変なんだろうけど。

 てなことに思いを馳せたりしながら競馬場を見渡すと、雑草が伸び放題のところに馬が数頭集まって草をはんでいる。内モンゴルに来て馬を間近に見るのは、この日が初めてだったかも知れない。

 この馬たちは競馬場の外に出たことがあるのだろうか。地平線だけが取り囲む大草原を、いつか自由に駆け回ってみたい、なんて思っているのだろうか。

 

 


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嵯峨治彦
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