●交通事情〜横断歩道編

 信号があるにも関わらず、フフホト市内の交通はいつも雑然としている。大きな原因は、きっと好きなところで、好きなタイミングで道路を横断する人や自転車が非常に多いからだろう。

 フフホト市民はかなり自動車が近づいて来ている時でも、スキを見てパッと横断を始める。これはウランバートルでも全く同じだった。滞在中、何度か僕も道路の横断を試みたが、ほとんどは道路の真中で立ち往生してしまった。最初の一歩を踏み出すタイミングから道路を渡り終わるまで、ものすごい緊張感。しかも通行車線が日本と逆なので、横断中に注意を払うべき方向からして間違えそうになる。日本生まれ・日本育ちの自分には、残念ながらまるで歯が立たなかった。

 どうだろう、2008年の北京オリンピックからこの「徒歩横断・自由形」を正式種目にしてみては。中国の金メダルは約束されたも同然だ。(先日のアジアカップ・サッカー(日本3−1中国)の「借り」を平和的に思う存分返していただこう。ところで僕はこの試合をフフホトのTVでリアルタイムで観戦していた。でもその後の例のゴタゴタに関しては、その夜も翌日も、TVでは一切報道されてなかった。帰国して事件を知った時には、中国の報道体制にゾッとした。)

 こんな僕でも道路を渡らねばならないこともある。ならば歩行者の特権ゾーン=横断歩道を渡れば良い。見回すと、なんだ、交差点にちゃんとあるじゃないか。よく見れば歩行者信号だってなかなか素敵でフレンドリーなデザインだ。

 ところが。結論から言うと、こうだ。

 「横断歩道がないと道路を渡れないようなヤツに、フフホトの横断歩道を渡る資格はない。」
 外モンゴル版ではこうなる。
 「ウランバートルだって、そうだ。」

 そう、例えそれが「青」であっても、一切油断はできない。なぜなら、止まっているはずの自動車が予想外の動きをすることがあるからだ。どうやら車にとっての「赤信号」は3方向のうち2方向だけをストップさせているに過ぎないようで、すなわち「赤でも右折はしても良い」らしい(たぶん)。これを日本におきかえると、「赤+(←)左折可」みたいな感じだ。

 この法則性に気づくのには、しばらくかかった。もしも交差点を行き交う自動車がすべてこれの法則に従ってくれているなら、もう少し早く気がついたかも知れない。しかし実際は「徒歩横断・自由形」の歩行者、自転車、リヤカーがどっと交差点に流れ込むので、「例外」的な行動を取らざるを得ない自動車が結構いるのだ。さらに単なる信号無視の車もいたりして、いっそう区別がつきにくくなる。

 こうして文章にするとややややこしいので、ここでの要点を親切に書くと、横断歩道を渡る時、日本では「交差点から出ていく車」にさえ気をつけていれば十分なのに対して、フフホトでは「交差点に入って来る車」にも注意しなければならない、ということだ。

 僕が住んでいる北海道は、交通事故が多い。年間事故件数ワースト1の記録を毎年大阪と競い合っているらしい。なんとも不名誉な交通戦争激戦地である。
 札幌にも結構マナーの悪いドライバーがいて、横断歩道をわたっている歩行者の流れに向かって、グイグイ車の鼻先を近づけて来たりする。そんな時は、「おいおい、歩行者様のお通りだぞぉ」みたいな気分で、ついドライバーをキッと睨みながら横断を続行してしまうことがある。もちろん黒塗りの外車等に関しては、キッ、なんてしない。ま、たいていの場合、さすがに歩行者と目があったドライバーは減速ぐらいしてくれる。

 あるときフフホトの交差点でいつもの癖が出てこれをやってしまったが、いやぁ、これはまずかった。まさに自殺行為。ドライバーは、「なんかこいつ、こっち睨んでるみたいだけど、まさか俺様の車のコースに足を踏み出すほどバカじゃあるまいよ」と、スピードを一切ゆるめずに突っ込んで来たのだ。危うく「目・と・目・で・通じ合う」状態のまま轢かれてしまうところだった。見方を変えれば、ドライバーは歩行者に対して「そんなバカじゃないよな」という絶大な信頼を寄せているのかも知れない。信じ合う気持ちは何よりも大切だ。ありがとうフフホト。ありがとう国際理解。

 もう一度、結論:
 「横断歩道がないと道路を渡れないようなヤツに、フフホトやウランバートルの横断歩道を渡る資格はない。」

 それでも渡りたかった人の辞世の句:
 「手をあげて 横断歩道を 渡れども ここはフフホト われはお手上げ」

 


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嵯峨治彦
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