| 12/2(土) 福島ツアー初日 「いわき さくらんぼ保育園」 |
| 野花南(=朗読のぽん田中と、音楽担当の嵯峨)のツアーが始まる。5日間で5公演。福島市の阿部一子さんをはじめ、現地のスタッフのみなさんがすべて企画してくださった。本当に嬉しく、ありがたいことだ。良いパフォーマンスが出来るようがんばろうと気を引き締める。 明け方4時までパソコン関係の仕事を片付ける。(メールの設定など、ツアー出発前の恒例行事だ。)その後、短時間でもと、布団にもぐりこむ。何か楽しい夢の最中に目覚まし時計がなった。ちなみに、枕元には大小3個の時計が並んでいて少しずつ時間差攻撃をかけてくるようにセットしてある。無事に、8時前に起床。今朝は大屋さんであるN雲さんが引越しのため荷物を取りに来る。エポさんのライブの話など。昨日のキタラ公演で頂いた花束を少しご近所にお裾分けして、出発。N雲さんに地下鉄円山公園駅まで送っていただく。アイスバーンなれど、週末ゆえ渋滞もなし。 地下鉄を乗り継いで札幌駅へ。駅前のコンビニで弁当を買って新千歳空港行きに乗りこむ。混んでいたが運良く座れた。 千歳空港。主催者の方々へのお土産を買いこむ。アマルトブシンさんやエポさんの北海道公演を手伝ってくれたMちゃんが働く全日空商事では、西屋旅館で飲むためのつまみを買った。準備万端。金属口琴を今回は3つも機内に持ちこむ。実は所持品検査で「これは一体なんですか」と聞いて欲しかったのだが、あっけなくパス。 天気が良い!冬のツアーはやはり天候が一番心配だ。滞りなく離陸。地図の通りの下界を眺める。内地は高い山にしか雪がない。霞がかかったような風景と寝不足の頭で、ぼーっとしてすこぶる気分が良い。 福島空港に着陸。さくらんぼ保育園から、スタッフのあべさんが迎えに来てくれていた。私は「想像していたより若い」そうだ。アジアの音楽をやってるというと、どうしても期待される年齢は高めになる。 保育園まで車で一時間。山道を抜ける。今回のツアー日程は、いわき→会津若松→(米沢白布温泉→)郡山→福島となるのだが、あべさんに「随分ギザギザな旅程ですね」と面白がられる。実は、いわきと郡山はすごく近くにあり、このコースは距離的に効率の良いものではなかったのだ。だが、私もぽん田中も全然気にはしていない。ここで、あらためて北海道と内地の距離感の違いを認識した。北海道だと、となり町まで100kmぐらいという感じか。日本一大きな「県」(さてどこでしょう?)で育った私だが、その当時は「車で1時間」は結構長いドライブに思えた。だが、北海道に10年以上暮らした現在、車で2〜3時間は、まったく苦にはならない。 いわきのさくらんぼ保育園は、埼玉にあるさくらんぼ保育園の流れを組むそうだ。実は、私が学生のころから演奏させていただいている北海道の「北の星」系の保育園とも関係が深い。だが今回のいわき公演はまったく別ルートで決まったので、この車内で初めて分かったつながりの不思議には驚いた。(実はこの後もう二つの「シンクロニシティ」があったのだが、それは後述。)この系列(?)の保育園では、丸山さんという方が作った「スーホの白い馬」の歌が園児たちに人気だ。複雑なメロディと変拍子を持つあまりモンゴルっぽくはない曲だが、子供たちはなぜか完璧に歌えてしまい、それには驚かされる。モリン・ホールで練習したときはちょっと苦労したヨ。 ついでに言うと、僕は基本的に児童教育の派閥とは無関係に動いている。保育という重要な問題に真っ向から取り組むからこそ、保育園にはいろいろな派閥があるのは理解できる。だが演奏会は、最終的には演奏者と主催の方との言わば個人的な関係で企画されるものだと思うし、演奏する側としては音楽は子供たちに捧げているつもりだ。教育方針に関しての詳しいことは私には分からないが、僕は子供たちが真剣に聴いてくれたらそれだけでうれしい。(注:別に今回「派閥」云々の話しが出たわけではありません。偶然がうれしかったついでに一言書いただけですよ。念のため。) スタッフの方は、のどうたの会のウェブ・サイトを見てくれたそうで、演奏者の紹介として「あのホームページを作っていた人です」という一言があった。時代だねぇ。当初の予定では、保育園のホールで園児・父母あわせて120人ぐらいの前で演奏するつもりだった。そのため、特に音響機材は用意してもらわなかった。ところが反響は予想外に大きかったらしく、結果260人がぎゅうぎゅう詰めで聴いてくれた。(後ろの席の人達にちゃんと聞こえていたら良いのだが。)ここの子供たちには、なぜかカルグラ(重低音喉歌)がばかうけで、グァーとやるたびに大爆笑になった。「タルバガンの歌」を歌うときは、カルグラだけでなく素の声で歌うパートもあるのだが、子供たちは惰性でそこでも笑っていた(…おいおい)。こども「達」の反応は、連鎖性がある。たとえば100人の子供の中で声の大きい3人が笑うことで、それは「笑える」ものという解釈が生まれ、結果100人に笑いが伝染する。ふと、「笑い」の生物学的な起源の一説〜警戒が要らなくなった事を群れ全体に伝える「鳴き声」ではないかという話〜を思いだした。ちょっと怖い重低音のしゃがれ声で生じた緊張感〜警戒体勢が、「とって食われることはないらしい」という判断で「解除」されたのだろうか。ちなみにタルバガンの相棒、大阪の等々力さんは、カルグラで小学生を泣かせたことがあるとか。(それ以来小学校からの演奏依頼が途絶えたと言うのは、本当ですか、りきさん?)うむ、子供たちの反応はおもしろい。 会場には、トーヤさんというモンゴルの女の子も来ていた。日本で演奏していたモリン・ホール奏者の友人がいるという。その名前をきくと、「ちょっと待って」と自分の携帯電話に入力されている名前を探し始めた。これは、トーヤさんがその友人の名前を忘れたわけではなく、本来の発音とカタカナ的発音があまりにも異なるため、日本人の僕にわかりやすく伝えるためカタカナ版を探してくれたのだ。私が(多少モンゴル語的な発音を意識して)「アマルトブシンさんですか?」というと、「そうそう!」と驚く。世間は狭い。のどうたの会は今年の9月にアマルさんと僕のジョイント札幌公演をプロデュースしていたのである。 今回会場で配布したいる「のどうたの会ニューズレター vol.28」には、エッセイコーナー「喉元思案」に、10月末に「いわき市立藤原小学校」で演奏したときのエピソード〜宿泊したホテルが、実は「常磐ハワイアンセンター」だったというレポート〜が書いてあった。公演終了後、今回の宿=いわき東急インまで送って頂いたあべさんの車内で、やはりJHCの話になった。会場の様子では、ニューズレターをニヤニヤしながら読んでいる方もいたそうだが、父兄さんの中には「えー、おれ誇りに思っていたのにぃ」という感想の方もいたそうだ。(JHCを誹謗中傷するような文章ではなかったはずだが…と、あべさんに対しても多少フォローしてしまった。) ここで、ひねたJHCファン(はい、公言します)の一人として、今回驚くべきシンクロニシティに遭遇したことを記さねばなるまい。さくらんぼ保育園の園長先生の義理の妹さんが、なんと、JHCの第1期のダンサーだったというのだ!その方は、当時バレエを習っていたことから、常磐炭鉱の事業転換=JHCの創立の時、白羽の矢が立ち、それ以来ダンサーとして踊りつづけ、今ではダンス教室の先生をされているそうだ。 この日、たしか園長先生はニューズレターをお読みになっておらず、ご本人からJHCに関する詳しいお話を伺うことは出来なかったのは残念だった。やはりJHCの地元ということで、「喉元思案〜JHC編」に対する反応が気になる。アンケートは後でまとめて札幌に送って頂くことになったので、楽しみに待とうと思う。今日のところは、会場に足を運んでくれた皆さんが、反感のかわりに(?)CDを買ってくれたのでうれしかった。(版元田原さんおめでとう!翌日公演の分までなくなってしまったのです。) |
All rights reserved.
(c) The Throat-Singing Soceity, Japan
のどうたの会 嵯峨治彦 nodo@ma4.seikyou.ne.jp