Chatkhan Symposium

草原の吟遊詩人
～アジア中央部（南シベリア）
　ハカス民族のチャトハン（箏）とハイ（喉歌）日本公演
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ハカス共和国のチャトハン（箏）シンポジウム

「ハカス共和国のチャトハン（箏）シンポジウム」

直川礼緒

　今年（一九九六年）六月、南シベリアはハカス共和国の首都アバカンにおいて、チャトハンchatkhanという、日本の箏に似た楽器をテーマにしたシンポジウムが行われた。
　アバカンは、レーニンの流刑地であったシューシェンスコエに行く際の拠点として知られている程度の、緑豊かな一見典型的なロシアの町である。ロシア的な見方をすれば確かに南シベリアなのかも知れないが、ハカス共和国は、「アジア中央部」に位置する、と言った方がわかりやすい。地図で探すときは、まずモンゴルの西端をみつけ、そこから北に、つまりロシア連邦側に目をやれば、アルタイ共和国あるいはトゥヴァ共和国を間においてすぐのところにある。なかでもトゥヴァはアジアの「へそ」を自称し、首都クィズィルには「アジア中央の碑」が立っているほどだから、耳慣れない「アジア中央部」という地域名称も、まんざら的外れではないだろう。もちろん、従来の「中央アジア」（それにしても何故このような名前がつけられたのだろう？）とは異なる、この「アジア中央部」地域が、古来重要な文化拠点のひとつであったことは明らかである。
　ハカス共和国の基幹民族がハカス民族、というわけだが、約六十万の共和国の人口のうち、ハカス人は六～八万人、一○％の少数派であり、あとはロシア人など後からこの地にやってきた民族がほとんどを占めている。もとからの住人とはいえ、このような「少数」民族の名前を冠した共和国名は、かなり政治的な意味合いもあるようだ。
　ところで、この「ハカス民族」だが、これは、元来異なる文化をもっていたのだが、長年にわたるロシア化の影響で文化的にあまり差異のなくなってしまった、この一帯に住む、カチン、サガイ、クィズィル、コイバルの四民族（文献によってはトゥヴァ系のベルティルを含む五民族）をまとめて呼ぶ名称として革命時に与えられたもので、『唐書』にでてくるこの地の古代民族「黠戞斯」（ハカスあるいはヒャガス＝エニセイ・キルギス）にちなんでいるとはいえ、人為的（社会主義的？）な民族名なのである。帝政時代はミヌシンスク・タタール、アバカン・タタール、カチン・タタールなどと呼ばれ、現在でも、民族の自称はタダールとされる。これらの中には、チュルク語系の民族だけではなく、サモエド系、ケト系の人々も含まれていたらしい。いずれにせよ、現在ではチュルク語系の民族として一定の地位を確立している。

　このような複雑な背景をもつハカスの国民楽器ともいえるのが、長さ約百二○ �ほどの箱形の共鳴胴をもつ、比較的小型の箏の一種チャトハンである。七～九本ほどの金属（本来は羊の腸）弦をもち、柱に羊の膝の関節を使っている。この楽器は、本来英雄叙事詩アルィプティグ・ヌィマハalyptyg-nymakhを語り歌う伴奏に用いられた。叙事詩には、数晩から数週間にわたる長大なものもあり、演唱において言葉を間違えたり、筋を混乱したり、途中で終わったりすると、語り手の命が縮むと言われていた。そして、このときに使用される特徴的な歌唱テクニックが、ハイkhaiと呼ばれる、喉歌の技法である。
　喉歌は、別名倍音唱法、一人二重唱などとも呼ばれ、その名の示すとおり、一人の人間が二つ以上の音を同時に出す超絶技巧で、日本でも最近注目されるようになったものに、西モンゴルのホーミー、トゥヴァのホーメイがある。また、近隣のアルタイやショール、少し離れるがバシキールにも同様の歌い方がみられ、「アジア中央部」に顕著な音楽事象となっている。浪曲のような、あるいはアメ横で聞かれるような、喉をつめた低い声と同時に、口笛のような、高い音域のメロディーがどこからともなく聞こえてくる。このような超自然的な、力をもった歌唱法を、ハカスの人々は、死者を喜ばせる歌い方と考えた。このため英雄叙事詩の語り手＝ハイの歌い手＝チャトハンの演奏者は、伝統的には葬式の後の故人の追悼の催しに呼ばれていっては演唱を行っていた。
　現在では、チャトハンは、一般的な歌謡の伴奏にも用いられてはいるが、「チャトハン奏者」を意味する「チャトハニスト」という語はロシア語の影響でできた新しいもので、本来は「チャトハン奏者」に相当する語は、少し不思議な感じがするが、「ハイ唱者」を直接的には意味する「ハイジ」であった。つまりは、「ハイ唱者」イコール「チャトハン奏者」なのであり、チャトハンとハイ、そして英雄叙事詩は切り離すことのできないものであった。
　チャトハンと同タイプの箏は、トゥヴァのチャダガン、トファラールのチャッティガン、カザフのジェティゲン、モンゴルのヤタッグなどがあるが、これらの民族の間では、英雄叙事詩とは必ずしも結びついておらず、また民族楽器ナンバーワンとしての地位も獲得してはいない。少し範囲を広げれば、同じ琴の仲間は、東に中国・韓国・日本・ベトナムから東南アジア、タイプは異なるが西にフィン・ウゴル語系民族、そしてイラン・アラブ・アフリカと、地球規模で広がりを見せている。この楽器をテーマにした国際シンポジウムを開催し、ハカス人の民族文化の復興を計ると同時に、世界にアピールするというのが、今回のチャトハン・シンポジウムのはじまりであったようだ。
　民族特有の楽器（あるいは音楽事象）をテーマにした国際大会は、ペレストロイカ以後の旧ソ連の状況の変化に伴い、各地で行われるようになってきている。筆者の知る限りでは、一九九一年ヤクート・サハ共和国（当時、現サハ共和国）で開催された＜第二回国際口琴大会＞、九二年と九五年のトゥヴァ共和国での第一回および第二回の＜国際喉歌シンポジウム＞などがある。とりあげられる楽器は、ある固有の民族の精神的アイデンティティをあらわすほどのものであると同時に、世界中の他の民族にもそれほど顕著ではないにせよ広く分布しているものが望ましい。そういう意味では、サハの口琴ホムスは、実に適切なテーマであったといえるだろう。楽器という切り口からは外れるが、九四年のカザフスタンでの＜国際シンポジウム「チュルク系民族の音楽」＞、同マガダン州での＜北方少数民族芸能祭＞なども同じ流れにあると考えてよい。この他、英雄叙事詩やシャマニズムをテーマにした国際大会も旧ソ連各地で開かれており、文化を通しての民族意識高揚の催しは、比較的安全な民族主義の一つの方向として、ある程度のステイタスを確立したようである。
　とはいえ、同一地域で第二回まで開かれたのが、トゥヴァだけであるのをみてもわかるとおり（第一回国際口琴大会は、八四年アイオワで開催されており、サハの第二回大会は名前を引き継いだもの）、経済状況の悪化とともに、国際大会の開催は、だんだん困難になってきている。現に国際口琴大会も、キルギスタンやバシコルトスタンで第三回が計画されていたが、どちらの国においても口琴が民族楽器ナンバーワンではない、という政治的な立場の弱さもあり、開催が見送られてきていた（キルギスタンでは口琴は3弦の撥弦楽器コムズに次ぐナンバーツー、バシコルトスタンでもナンバーワンは縦笛クライ）。それならばサハでもう一度、とばかりに今年第三回大会の開催が予定されていたが、文化予算をスポーツ施設建設に奪われたという話で、やはり延期されている。このような困難を乗り越えてでも国際大会を開こう、という各民族の強い意志のあらわれは、これまでいかに民族的なものが圧迫されてきたか、ということの反動でもあるようだ。

　　アバカンには、イルクーツクからタイシェト経由で列車で入った。飛行機なら三時間ほどで着くところを、なるべく地面の上を旅して、少しでも草原の民族の心に近づきたかったから…、といえば聞こえはいいが、イルクーツクの知人に「一晩で着く」といわれていたため、一晩だけなら列車の旅もいいかも知れない、と気楽に考えたのが主な理由だ。ところが、実際は二晩かかることが判明したのが列車に乗ってからのことで、しかも夜の寒さには参ってしまった。おかげで、草原の民の心にまで届いたかどうかはともかく、シベリアの広さは満喫することができた。
　同行したのは、芸大邦楽科卒の若手の箏の奏者、後藤幹子氏。日本の邦楽をやっている人は、同じ種類の楽器を使った音楽が外国、しかも同じアジアに存在する、といってもあまり興味を示さない（私の偏見かもしれないが）。その上、荷物になる楽器をかついで、名前も聞いたこともないような国に演奏にでかける、となると遠慮したくなる気持ちも分かる。加えて、ギャラは出ないし、出費は全て自費である（ある基金に問い合わせてみたが、締め切りを過ぎているとのことで応募もできなかった。日本文化紹介を何と心得ているのだろうか。まあ、旧ソ連からの招待状はいつもぎりぎりなのがいけないのだが）。このような悪条件にも関わらず、「行ってみたい」と同行を快諾された後藤氏に深く感謝したい。
　シンポジウムは、アバカン市内の、３つの劇場、大学、そして、シンポジウムを機に新しく建てられた創造民族芸術研究センター（ハカスの伝統的な木製のユルタを模したデザインなので、通称ユルタ）を中心として開催された。
　催しの最初の三日間は、昼は研究報告、夜はコンサートと交流会の毎日であった。ハカスの様々な民族楽器の特別展も、郷土史博物館で開かれた。発表された論文では、チャトハンの起源、歴史、名称、音楽面、製作、英雄叙事詩、喉歌、フォークロアなど、あらゆる角度からの考察が、ときとして実演を交えながら提示された。他民族のもつチャトハンの仲間の楽器に関する報告も行われ、筆者は、日本に現行の３種の琴（神道の儀式で使用される和琴・雅楽で使われる楽箏・そして一般的ないわゆること＝箏）と、発掘品や埴輪にみられる古代の箏について報告した。後藤氏も民族衣装（着物）に身を包み、発表の場での実演～質疑応答に、コンサートにと大活躍で、一躍参加者の人気の的となっていた。特に彼女が披露した、「尾上の松」のような、おめでたい内容の歌詞を伴う曲のジャンルがハカスにも存在し、楽器の構造だけではなく、機能としての類似性と相違性が浮かび上がってきたことがお互いに大きな収穫であった。
　そのコンサートも、ハカスの二つの国立アンサンブルの他、外国人参加者を含め、各地の民俗アンサンブルや演唱者が出演し、かなり力の入ったものであったが、コンサート後に「ユルタ」で開かれる交流会にチャトハンを担いでやってきて披露される、ハイジたちの演唱の方が、同じ演唱者のものでも、より味わい深いものであった。これは、チャトハン音楽が、もともとステージに乗せるものではなく、独特の「場」を必要とするものである、ということと関わっているように思えた。
　また、このような伝統音楽の伝承～再創造に関わる人たちの年齢が若いのも印象に残った。皆、自分たちの民族の音楽を、誇りを持って、しかも楽しくてやっているのである。このようなとき、日本の伝統音楽を何一つ外国で披露できない自分に恥じ入るとともに、西洋音楽ができればえらい、という日本の音楽教育はやはりどこかおかしい、と思う。
　シンポジウムの最終日には、ステップに点々と残る、ストーンサークルのような古代巨石文化の遺跡の見学が行われた。遺跡を遥か遠くに眺める丘の上に、ぽつんと立つ大きな一枚岩。この岩板を境に、世界はプラス側とマイナス側に分かれている、という。プラス側の岩面には、ちょうど人ひとりが体をもたせかけるような窪みがある。その窪みに体をあずけ、「プラス側の世界」を眺める。果てしない大草原。ふとみると、黒い点が動いている。それは、騎乗の人物が、白いかたまり＝羊の群を追っている姿であった。

　　　　　　　　　　　　　　　（ただがわ・れお　日本口琴協会）
　「窓」1996年12月20日発行＜ナウカ（株）＞に掲載

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